(1)ユトリをもつことの大切さ [自分自身]
(第1回)ユトリをもつことの大切さ
◇◇◇◇◇
「ユトリ」という言葉で皆様は何を連想されますか?
「ユトリ」はほしいけれど、そんなことは言っていられない。
仕事を頑張らなければ辞めさせられるし、みんなが頑張っているから自分だけ楽をしているわけにもいかないし、いつかユトリが持てたらいいけど、「今ではないな」と思っていませんか?
今の時代、ユトリよりも先に大事にしなければならないことが多いと思ってしまって、ユトリは忘れてしまわなければいけないのかもしれません。
ですが、谷村カウンセラーは心の「ユトリ」を持つことが大切だと言います。
不況という厳しい社会の中で、なぜユトリが大切なのか、そして、どのようにユトリをもっていったらいいのでしょうか。
◇◇◇◇◇
―今、仕事を頑張って、頑張って、ユトリがなくなっている人が多いと思いますか?
思います。現代は、社会的背景もありますよね。不況を理由に、例えば、企業が人員を削減すると、一人ひとりの社員に対する負荷が非常に重たくなってきていますよね。
その結果、120%、150%の要求をされて、ユトリの「ゆ」の字もないくらいの仕事を連日重ねるようになってしまいます。
そうしているうちに、追い詰められてきてウツのような状態になってしまって、自信をなくてしてしまって、休職されるという方が多くなってきているように思います。自信を無くされますと自虐にもリンクしてきます。
しかし、高度経済成長期と言われた時代というのは、仕事が背中を押してくれていて、非常に楽しく仕事をしていたと思います。
100時間や200時間の残業なんて当たり前、上司も押しつけるわけでもなく、ガンバレなんていうこともありませんでした。上司が『おぉ、ご苦労さん身体は大丈夫か?』等と声をかけられておりました。
だからかもしれませんが、追い込まれるという感覚もなかったし、ウツで休まれるという方に遭遇した事はありませんでした。
―なぜ、こころの「ユトリ」がなくなっていくのでしょうか?
会社から150%以上の要求をされて、毎晩終電で帰るような状態だと、時間的なユトリがなくなってきます。家に帰りついてもお風呂に入るのが精一杯で、そのままバタンQになってしまいますよね。
そういうことが、積み重なっていくと、時間にユトリはありませんし、こころにもユトリがなくなってきます。そうしたことが自信喪失などにつながっていると思います。
150%の要求をされても断ることもできず、仕事をして、残業や体調不良で休んでしまったら、「おまえは弱いからだ」「もっと強くなれ」と言われるかもしれません。
個人のキャパシティも考えずにガンガンと自分の考えを押しつけてくるのは無茶苦茶なことです。決して弱いから、できないということではないし、休んでしまうということでもありません。
仕事を与えるだけでは、管理職は務まらないです。部下の状況を観察把握するのも責務になります。管理職にもユトリが要求されます。
人それぞれ、感性が違いますから、相手のことを考えることが必要だと思いますし、また自分の感性を認め、大切にしてほしいですね。
社会を構成している根幹にあるのは、個々人です。それが倒れると、上も倒れていく。自分を大切にしなければ、自分が健康でなければ、人を支えることはできないと思います。
そして日本人の考え方というものもユトリの無さにかかわってきているように思います。
欧米人は食べるために働く、自分のために働くといいますが、日本民族の場合は、働くために食べると考えがちではないか?
これは、何か違うと思いませんか?会社のために働いている人が多いと思うんですね。自分の生活維持のために働いているんだという人よりも会社を良くするために働くという人のほうが多いんじゃないかと思います。
これでは、ユトリがなくなると思いますよね。
欧米人のように自分のため、家族のために、収入を増やすんだという目的のために働かれていると、自然にその会社も発展していくと思います。(昨今は欧米でも次第にユトリが無くなっているようには見受けますが)
明日に続く。(インタビュー:カウンセリングルームA/T 谷村 剛臣カウンセラー)
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「ユトリ」という言葉で皆様は何を連想されますか?
「ユトリ」はほしいけれど、そんなことは言っていられない。
仕事を頑張らなければ辞めさせられるし、みんなが頑張っているから自分だけ楽をしているわけにもいかないし、いつかユトリが持てたらいいけど、「今ではないな」と思っていませんか?
今の時代、ユトリよりも先に大事にしなければならないことが多いと思ってしまって、ユトリは忘れてしまわなければいけないのかもしれません。
ですが、谷村カウンセラーは心の「ユトリ」を持つことが大切だと言います。
不況という厳しい社会の中で、なぜユトリが大切なのか、そして、どのようにユトリをもっていったらいいのでしょうか。
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―今、仕事を頑張って、頑張って、ユトリがなくなっている人が多いと思いますか?
思います。現代は、社会的背景もありますよね。不況を理由に、例えば、企業が人員を削減すると、一人ひとりの社員に対する負荷が非常に重たくなってきていますよね。
その結果、120%、150%の要求をされて、ユトリの「ゆ」の字もないくらいの仕事を連日重ねるようになってしまいます。
そうしているうちに、追い詰められてきてウツのような状態になってしまって、自信をなくてしてしまって、休職されるという方が多くなってきているように思います。自信を無くされますと自虐にもリンクしてきます。
しかし、高度経済成長期と言われた時代というのは、仕事が背中を押してくれていて、非常に楽しく仕事をしていたと思います。
100時間や200時間の残業なんて当たり前、上司も押しつけるわけでもなく、ガンバレなんていうこともありませんでした。上司が『おぉ、ご苦労さん身体は大丈夫か?』等と声をかけられておりました。
だからかもしれませんが、追い込まれるという感覚もなかったし、ウツで休まれるという方に遭遇した事はありませんでした。
―なぜ、こころの「ユトリ」がなくなっていくのでしょうか?
会社から150%以上の要求をされて、毎晩終電で帰るような状態だと、時間的なユトリがなくなってきます。家に帰りついてもお風呂に入るのが精一杯で、そのままバタンQになってしまいますよね。
そういうことが、積み重なっていくと、時間にユトリはありませんし、こころにもユトリがなくなってきます。そうしたことが自信喪失などにつながっていると思います。
150%の要求をされても断ることもできず、仕事をして、残業や体調不良で休んでしまったら、「おまえは弱いからだ」「もっと強くなれ」と言われるかもしれません。
個人のキャパシティも考えずにガンガンと自分の考えを押しつけてくるのは無茶苦茶なことです。決して弱いから、できないということではないし、休んでしまうということでもありません。
仕事を与えるだけでは、管理職は務まらないです。部下の状況を観察把握するのも責務になります。管理職にもユトリが要求されます。
人それぞれ、感性が違いますから、相手のことを考えることが必要だと思いますし、また自分の感性を認め、大切にしてほしいですね。
社会を構成している根幹にあるのは、個々人です。それが倒れると、上も倒れていく。自分を大切にしなければ、自分が健康でなければ、人を支えることはできないと思います。
そして日本人の考え方というものもユトリの無さにかかわってきているように思います。
欧米人は食べるために働く、自分のために働くといいますが、日本民族の場合は、働くために食べると考えがちではないか?
これは、何か違うと思いませんか?会社のために働いている人が多いと思うんですね。自分の生活維持のために働いているんだという人よりも会社を良くするために働くという人のほうが多いんじゃないかと思います。
これでは、ユトリがなくなると思いますよね。
欧米人のように自分のため、家族のために、収入を増やすんだという目的のために働かれていると、自然にその会社も発展していくと思います。(昨今は欧米でも次第にユトリが無くなっているようには見受けますが)
明日に続く。(インタビュー:カウンセリングルームA/T 谷村 剛臣カウンセラー)
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